琉歌の例として、心の込め方実践。平和の琉歌

春緒うるま

2018年07月13日 14:03

 今回は前の作品を手直しします。文字数がおかしかったりしてましたねー。修正しました。
平和の琉歌、あの有名な歌とは関係ないですね。

「 君と 語りあい 思い 伝えても  お互いの 心 見えは しない 」
一方的に話しても
理解し合うことは無理。
この状況は今の時代に
多い気がします。
身近でも政治の世界でも国家間でも
一方的な考えの
押しつけが普通です。
自分を主張するより
相手の話を聞いて
理解したい思い
それが慈しみの心。

「 君のため 尽くし  君を 護りたい   押し売りの 愛は  首を 絞める」
 相手の思いを
勘違いするというか、自分の都合で考える。
多いですね。愛は束縛
自分のものにしたい思いも大きい。
仏教とキリスト教の違いで
慈愛というのが
共通項となります。
 
「君の 思うまま  落ちて 行く果ては    戻る 道もない  鬼の 世界 」
 助言しあうことが
大切とわかりますね。
身近か、な関係や国際社会でも
この距離感を取るのは難しい時代になってます。
平和も、そのバランスが
取れてるから成り立ちますね。

「 語り合う 夜も  鳥が鳴く 夜明け  眠け 覚ましてと 笑う 朝日 」
お互い理解し合って
一部の小さなグループの
意見として固まる考えも
冷静になってみなければ
全体が見えてこない。 
 本当に人類のすべてが、安らかに生活できる
平和は難しいものですね。


 平和は誰でも願ってます。その方法手段が違うわけで
解かっていることを実行するのが一番良いやりかたと感じます。
相手を理解し、慈しむ。これしかないでしょ。
 少なくとも争い、戦争で平和になった国は存在してませんでしたし、今もありません、歴史的な事実ですね。


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