2015年02月21日 17:11
石垣の民謡は八重山民謡ですね。文化圏として奄美、沖縄、宮古、八重山など、その土地の方言で謳われる。琉歌は和歌と似た詩歌です。基本的な事を話してみたい。
島唄は基本的に奄美諸島で昔から使われていた言葉です。書籍からの情報によると、特に自分たちの集落をシマと呼び、シマウタは奄美の中でも自分の産まれた集落のウタとの考えもある。
音楽的にも、日本民謡の影響を受けた島唄、琉球民謡の影響を受けた島唄、が存在する。
言語的に見た場合。奄美にも、いくつかの方言がある。
狭い意味では奄美徳之島諸方言「奄美大島、加計呂麻島、徳之島、喜界島北部」などで話される。
ほかに沖永良部与論沖縄北部諸方言「喜界島南部、沖永良部島、与論島」で話される。
沖縄本島北部にも及ぶ方言として分類されるわけ。
それだけ、小さな集団が独立して生活していた証拠。つまり、全体的に琉球語とも言われる。言語ではなく、方言として区別する方法を今回は採用してます。
沖縄でも地域ごとに琉歌があり、使われる言葉も違っている。奄美と同じように産まれた集落を「シマ」と呼ぶ。
島唄で個人的に気づいたことを挙げてみよう。
「諸鈍長浜節」は琉歌に似ている。ふたつのウタを紹介する。
「謝敷板びしに、うちゃい引く波ぬ、謝敷みららびぬ、美笑れはぐち」(じゃしち節)
「浦浦ぬ深さ 名護浦ぬ深さ 名護ぬみやらびぬ、うむい深さ」(ナークニー)
じゃしち節の歌碑、記事があります。謝敷の琉歌歌碑 別窓表示
ナークニーで謡われる、裏浦ぬ深さの歌碑、記事があります。名護の琉歌歌碑うらうらぬふかさ 別窓表示
奄美大島、加計呂麻島の諸鈍にある長浜を詠んだ唄と似ている琉歌である。
「千鳥浜」島唄の一部「親親戚(うや、はろじ)居らぬ……。
はろじ、が親戚。沖縄本島の具志堅方言で「ぱろーじ」と破裂音になるのが親戚の意味。
やはり、奄美と沖縄本島北部に文化的交流があったと思われる。
琉歌は和歌の影響を受けたと思われる作品も多い。奄美の島唄を総合的にみれば、沖縄よりもっと日本文化に近い感じ。言語的には琉球語なわけで、人々の交流の在り方が伺えますね。
琉歌は地域の方言で詠まれる。沖縄本島でも大きく分けて中南部方言と国頭方言(やんばるくとぅば)にわかれる。
注:国頭方言が先に話した沖永良部与論沖縄北部諸方言となっている。
だから昔の言葉が「わかりにくい」わけですね。現在使われているのは那覇言葉。首里言葉は日ごろの生活からみて、現実的に少ないように感じます。
古典音楽では歌詞として琉歌が使われてます。形式は基本の文字(音)数8886です。
そして、中風、長歌、つらね、木遣り、口説ち、などの形式がある。
そして琉歌歌碑も多いのは嬉しいことです。
伊平屋村の歌碑
「あさみちが いめら ゆなみちが いめら
わんや うざなむい 御待ち さびら」
伊是名村の歌碑
「聞けば 仲里や 花の本てもの
咲き出らば 一枝 持たち たぼれ」
国頭村の歌碑
「あた果報のつきやす 夢や ちゅうも見だぬ
かじゃで風のつくり べたと つきゃす」
いち例です。文字にするときにも決まりがあって、発音とは違う。琉球王朝成立から、言葉も大和口に近くなります。
「おもろ」が形を整えて琉歌になったと言われています。興味があれば、、おもろ、を調べるのも楽しいですね。
琉歌が沖縄方言なのかを書いたページがあります。沖縄の方言も載せている。琉歌はなぜうちなぐちか 別窓表示
沖縄でも、宮古、八重山は方言や文化が違います。八重山でも、与那国が独特の方言を使っていたらしい。
琉歌の形式とは別に唄われるのが宮古民謡。「あやぐ」が綾語で歌の意味。知り合いの情報では、祈りの言葉がメロディーみたいな感じになったと言われる。宮古民謡として考えた方が良い。これは奄美の島唄と似ている。
宮古民謡の一例
「なりやまあやぐ」
「トーガニアヤグ」
「伊良部トーガニ」
「多良間ションカネー」
言葉が沖縄本島とは違いますね。実際に話し言葉を聞くと、個人的には3拍子に聞こえる。
これが沖縄本島の民謡や古典舞踊に影響をあたえてます。
八重山と言えば「あさとやユンタ」は有名ですね。武富島では「ど」と濁らないようでです。三線で伴奏する「安里屋節」になり曲調は異なる。
石垣島やその他の地域では歌詞も変えて歌われていたらしい。全国的に広がる「安里やユンタ」は宮良長包先生の作曲。星克先生の作詞。
奄美で「奄美チンダラ節」として歌われるのは興味深い。
安里やユンタは沖縄の歌が全国的に広がる重要な役割を果たしています。琉球の歌として知られているのにも八重山民謡は多い。
「とぅばらーま」
「デンサー節」
「月ぬ美しゃ」
「鷲ぬ鳥節」
「あがろうざ」
「与那国ションカネー節」
このように見てくると「おもろ」から続く琉歌の心はひとつだと分かりますね。
自分たちのシマの言葉で思いを詠む。それが三線などで曲をつけて歌うようになる。形式は違いますが、思いはひとつということになる。
琉歌は和歌に似ていると話しました。やはり、形式が似ているというより、思いを詠む、というのが共通しているわけです。地域の方言では詩歌の定型詩になりにくい部分もある。
それで、琉歌は基本的に文字(音)数が琉球方言だと「8886」に不思議と合わせやすい。標準的な日本語で、ちょっと迷ったときもあります。だから、ここで、という時にシマの方言を使う。
琉歌の定義にも関わる問題ですが、何を琉球の詩歌と考えるかですね。
先ずこの琉球語圏内(奄美、沖縄本島周辺、宮古、八重山)に存在する方言が消えないように、継承する。しかし、言葉は時代にともない文化の変化で変わる。
それでも詩歌や民謡の形を継承することで、謡いつながれた古語も消えることはないと信じます。
現代の言葉で琉歌、島唄、綾語、を残す過程で、古語を深く理解したい人も増えますね。
琉歌は詩歌として和歌や短歌のように心を歌う、記事があります。琉歌は心で詠う基本さー 別窓表示
参考文献:奄美民謡島唄集(cd付) 筆者:片倉 輝男 出版社: 南方新社; 1版 (2010/2/24)